■色即是空、空即是色    

世の中には、一流があれば二流も三流もあります。

二流三流の存在意義は?それらは何のために存在しているのか?

それは愚問でしょう。問う意味そのものが存在しないと思うのです。例えば、自分は
何のために存在しているのだ?という問いは、私の感覚では、やはり「愚問」です。
存在する意味もなければ、問う意味もありません。それに、本当に存在しているとも
限りません。例えば私、例えばあなた。本当に存在していると言い切れますか?人の
視覚はそこまで確かでしょうか。目で見えるものだけが全てではありません。たまに、
存在感がなくなるときってあるでしょう。「あれ?いたんだ」みたいな時です。どう
いう角度から見るか、或いは、どういう感性、思惑で見るか、感じるかによって、存
在というものは、結構あやふやになるんです。つまり、「存在=意識」であるとも言
えます。意識しなければ存在してないかもしれないということ。何も考えずにボーっ
としているときは、自分自身が存在していないのかもしれません。

それでいいと思うんです。何がどうして存在しているとか、誰がどうして存在してい
るのか、そういうものはどうでもいいんです。

しかし、優劣はあるんです。ただ、それらは見る角度や環境、立場、或いは経時的に
変化するものでもあります。また、それらは「明と暗」のような対比から生まれるも
のでもあります。優があるから劣があり、劣があるから優がある。



「色即是空、空即是色」


因果(原因と結果)の因と果はどっちが先ってこともなく、固定的でもありません。
そういうことを考える私自身の思考や存在も不変ではありませんし、優劣も不変では
ありません。だから、あんまり意味がないんです。あるかもしれないし。どっちでも
いいかもしれないし、そうでないかもしれない。




 

 


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